2014年12月3日水曜日

雪降って静かに白熱して

11月のさいごの週末、むかえた東京蚤の市はたいへんな盛況をいただいて、ほんとうにありがとうございました。
SNSでフォローしてくださっている方々からも声をかけていただけて、あらためて嬉しく、感謝の気持ちが湧き上がるのを感じておりました。
また、素晴らしいお店がたくさん出店されていて、皆さんというわけには行きませんでしたが、多くの方々と交流させていただけて、とても楽しく、刺激をたくさんいただきました。
主催の手紙社のみなさんもボランティアのみなさんも、イベントの成功のために常に献身的に働いてくださっておりました。
こんな素晴らしいイベントに関わらせていただけたこと、改めて深く感謝いたしております。
また、次にお声がけいただけたときも、全力で楽しみたいと思います!





そして、ここ岩手は、12月をむかえて、止めどなく雪の降る日々です。
これは、6日からはじまる星冬祭にむけて、イーハトヴの空から惜しみないベールのもたらしなのかもしれません。


また、この祭に作品を供してくださるつくりべの皆さんからは、いままさに白熱しているところだと便りが届いています。
どこまでも高く続くこの雪のしるしが、その熱によって冷ますことなくほぐれ、ひと品ひとしなに再結晶することを予感しています。


いよいよ3日後に迫った星冬祭、想うと胸が高鳴ります。
星と冬にちなんだ賢治さんの作品を、と思い手にとった校本賢治全集。
表紙の青に鎮めてもらいながら「春と修羅」を通読すると、「冬と銀河ステーション」というおしまいの一篇に辿り着きました。



冬と銀河ステーシヨン



そらにはちりのやうに小鳥がとび
かげろふや青いギリシヤ文字は
せはしく野はらの雪に燃えます
パツセン大街道のひのきからは
凍つたしづくが燦々さんさんと降り
銀河ステーシヨンの遠方シグナルも
けさはまつに澱んでゐます
川はどんどんザエを流してゐるのに
みんなはなまゴムの長靴をはき
狐や犬の毛皮を着て
陶器の露店をひやかしたり
ぶらさがつた章魚たこを品さだめしたりする
あのにぎやかな土沢の冬の市日いちびです
(はんの木とまばゆい雲のアルコホル
 あすこにやどりぎの黄金のゴールが
 さめざめとしてひかつてもいい)
あゝ Josef Pasternack の指揮する
この冬の銀河軽便鉄道は
幾重のあえかな氷をくぐり
(でんしんばしらの赤い碍子と松の森)
にせものの金のメタルをぶらさげて
茶いろの瞳をりんと張り
つめたく青らむ天椀の下
うららかな雪の台地を急ぐもの
(窓のガラスの氷の羊歯は
 だんだん白い湯気にかはる)
パツセン大街道のひのきから
しづくは燃えていちめんに降り
はねあがる青い枝や
紅玉やトパースまたいろいろのスペクトルや
もうまるで市場のやうな盛んな取引です
(一九二三、一二、一〇)



まさにこの星冬祭の祝いと祈願にぴったりとかさなるイメージを見る思いがしました。
ギリシャ文字とロシア語キリル文字との相似のこと、灰色に沈む雪の街を彩る赤や青や金やスペクトル、それらはまるで銀河を構成する詩学そのものです。
この銀河のむげんの点と線のあいだじゅうに響きあって満ちてゆくかがやき、いまはまだ見えないかもしれないそれらのかがやきが、やがて連なってゆくのが見えてくるようです。


最後に、春と修羅の序をここに置いて、第一回 星冬祭の序の事寄せとしたいと思います。





わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料データといつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます



     大正十三年一月廿日
宮沢賢治







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